2002
20代目
立川駐屯地。珍しいAH-1S『コブラ』の編隊デモフライト。
『狩りの時間だ』という英文は、この3機の姿勢がいかにも相手に襲い掛かる感じだったので。その元ネタはサラ・ブライトマンの歌『Time
To Say Goodbie』。全然癒し系じゃなくなってます。
19代目
木更津駐屯地。
ヘリから飛びだす瞬間が見事に撮れ、まさに『突撃』の雰囲気が出せました。
18代目
入間基地航空祭。
『なんか面白い写真が撮れたぞ〜』と思ったけど、肝心のコメントが…コメントが…(泣)。もうちょっとひねればよかったなぁ。
17代目
海上自衛隊・館山航空基地ヘリコプターフェスティバル。
この日は整備員のサムアップの合図に凝っていて、同じような写真を何枚も。だけど満足行くのはそんなに無いんです。うーむ、写真の世界は奥が深い。
16代目
土浦駐屯地、予科錬時代を再現する隊員たちです。
この日は盛りだくさんな内容だったのですが、もうこのインパクトが強すぎて…。
15代目
七都県市合同防災訓練にて。訓練を終え、帰路につく小泉総理大臣。
ネタは某女性議員の有名な台詞。この場面で使うのも何ですが。
14代目
アメリカ空軍・横田基地。厚木に帰るF-14『トムキャット』。ネタはご存知『トップガン』の主題歌『DANGER
ZONE』から。
トムキャットといえばこれ。でももう20年近く前の映画なんだよね。
13代目
函館山からの100万ドルの夜景。家族と函館・青森旅行に行ったので、皆様へのお土産代りにアップしました。
この写真を撮影したのは8月13日の『夜景の日』。函館市民はこの日は観光客のために家中の照明をつけるそうです。
12代目
海上自衛隊・横須賀基地。会場を散策するピクルス王子とパセリちゃん。
ずーっと続いた梅雨があけたら、途端に猛烈な夏の日差し。この着ぐるみ(頭ぐるみ?)を着ていた隊員の苦労はいかばかりか…。
11代目
下総スカイフェスタ。デモフライトのあと、機体洗浄を受けるP-3C。洋上フライトの後はこうやって機体についた塩分や汚れを落すんだけど、知らない人が遠めに見ると、『飛行機が燃えている〜!』と騒ぎます。
ちょうど夕方だったこともあってこのフレーズが浮んだけど、我ながら何とも親父くさい。
10代目
海上自衛隊・厚木航空基地のちびヤンにて。離陸直後のF/A-18『ホーネット』。
『僕もこういう写真が撮れるんだぞ!』と載せたつもりが、肝心のコメントが浮ばずじまい。結局、航空管制の決まり文句のひとつ『離陸を許可する』でどーにか形にしました。
9代目
下志津駐屯地の87式自走高射機関砲。
毎週のように出撃していたので更新前のレポートが山積み&ネタ切れで、単にニックネームの『スカイシューター』と入れただけ。
8代目
同じく霞ヶ浦駐屯地。少年工科学校生徒ドリル隊。空自の生徒隊が出てるんだからと作りました。
英文『僕達は守護者となるために生まれてきた』はなかなかいい感じだと思うのですが、これの元ネタは昔の映画『ワイルドでいこう!』の主題歌『Born
To Be Wild』。
さらにこれを思いついたのは、当時よく行っていたサイトの掲示板で『親父が陸自隊員で、このままじゃ入隊させられる〜』と嘆いていた高校生のコメントだったりする。
7代目
霞ヶ浦駐屯地・航空学校の名物『シャークマウスコブラ』。この面構えを見て、『これしかない!』と即断。
この頃から、『トップ変更=更新の合図』という感覚になりました。
6代目
習志野駐屯地。
どちらの言葉も第1空挺団になじみの深いもの。『空の神兵』は空挺部隊を称えた歌のタイトルで、『精鋭無比』は空挺団のスローガンです。
5代目
航空自衛隊・熊谷基地。ドリル演技を終えて退場する生徒隊。『若さ』と『自衛隊員』を表す言葉を考えたつもり。
『守る』より『護る』の方が守護者っぽくていいかなと思ったのですが、効果のほどは…。
4代目
同じく下総、滑走路沿いの桜並木。
元ネタはおなじみ、『さくら』の歌詞の一部。昔の仮名遣いでやってみたけど、これであっているかな?
この年は開花が異常に早く、『撮ろう』と思ったころには散り始め。
やっとのことで復刻版の公開。当時と違って、満開の桜が撮れました。
3代目
地元の下総基地にて。デジカメの練習がてらに撮影。ここは滑走路両端に道路があるのですが、その上空を恐ろしく低く飛行機が飛ぶのです。
インパクトのある写真だけれどいいキャッチフレーズが浮ばず、苦肉の策で『上を通りま〜す』と書いたら意外に好評。ウケ狙い路線がこのときから始りました。
2代目
降下初めより。レポートをアップした記念に画像も交換。
この時から画像に合わせたキャッチフレーズを入れるようになりました。
初代
まさに我が格納庫がオープンしたときのトップ画像第1号。もともと持っていたP-3Cの画像に名前を書きこんだだけのテキトーな作り。
ちなみにオープン当時の当サイトもリンク集しかないというテキトーな作りでした。